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第2話 彼女の心

last update Last Updated: 2025-05-17 21:21:33

「よっ!」

 驚いた楓の肩がビクッと動き、ゆっくりと振り返る。

「……藤原くん?」

 楓は訝しげな顔をする。

 警戒心が強い野良猫のように、人を拒絶するオーラが見えそうだ。

 要は掌をひらひらと振りながら、ニコニコと楓に近づいていく。

 少しでも警戒心を抱かれないようにという、彼なりの計らいだった。

「一人で掃除してんの?」

 近くにあった机の上にひょいと座り、要が尋ねる。

 楓は俯いてしまい、何も応えない。

 目線も一切合わせようとしてこない。

「……おまえさあ、よく一人で掃除してねえ?」

 その言葉に、楓の眉が少し動いた。

「そんなことない。何か用事?」

 動揺を読まれないように、冷静を装った楓が小さく反応した。

 まだまだ警戒を緩めそうにはなかったが、反応があったのは収穫だ。要は心の中でガッツポーズを決めた。

 楓と要は隣のクラスで、たまに校内ですれ違ったり、要が楓に一方的に話しかけてくる以外に接点はない。

 要は友達も多く、人気者で、いつも楽しそうに生きている……ように楓には見えていた。

 そんな彼がなぜ、正反対の楓に声をかけるのか。

 楓には見当もつかなくて、戸惑うばかりだった。

「嫌なことは嫌って言えよ。いつもみんなの言うこと聞いてるだろ? 疲れない?」

 突然の要の発言に、楓は驚愕する。

 なんで要がそのことを知っているのだ、と不思議に思いつつ、楓は冷静を装い言い返した。

「……関係ない」

「関係なくない、俺はおまえが心配なんだよ」

 楓は驚いて要を見る。

 要の表情は真剣だった、からかっているようには見えない。

 楓は心底不思議だった。

 なぜ私にそんなに構うのか、なんで心配するのか……。

 でも、そんなに嫌な気持ちはしなかった。

 なんだかムズムズする。変な気分だ。

「それは……疲れるけど……嫌だけど」

 楓の言葉が途切れる。

 要には彼女が何かを思案しているように感じ、しばらく次の言葉を待った。

「みんなの言うこと聞かないと、私……意味ないし」

 その瞬間、楓の言葉は重みを増し、瞳に影がよぎった。

 彼女の中に見た深い悲しみの根源は、この陰にあるのではないか。

 要はそれを逃さなかった。

「何? どういう意味?」

 要はわからない、だから知りたかった。

 楓は持っていた箒をぎゅっと強く握って叫ぶ。

「――なんの役にも立たない、何の利用価値もない、そんな私だったら誰も必要としない! 近づいてこないっ!」

 言い終えた楓は軽く肩を上下させている。

 それだけ彼女の中で感情が溢れていた、ということだ。

 楓の口から出た言葉に、要は愕然とした。

 そんな風に思っていたことが、ショックだった。

「おまえ、マジで言ってんのか……それ」

 要の声のトーンが落ちる。

 その声音は、楓の心をざわつかせる。

「……そう。私はずっとそうやって生きてきた」

 楓はずっと下を向いている。

 お互いどんな表情をしているのかわからなかった。

「なんで……なんで、そんな悲しいこと言うんだよ!

 お前がお前のままで必要としてくれる人がいないなんて、そんなわけないだろ?

 そんなわけっ――」

 要は怒っているのか泣いているのか、そのどちらもかもしれない。

 怒りや悲しみのこもった複雑な表情を楓に向ける。

 楓は混乱する。

 なぜ要がそんな表情をして、そんなことを言うのか。

 突然、要の両手が楓の手を包み込んだ。

 楓は突然のことに驚き、要の顔を凝視し一歩引く。

「今までおまえのこと必要だって言ってくれる奴がいなかったのか? 大切にしてくれる奴はいなかった?

 そうなら……そうだったなら、自分だけは自分を大切にしてやれよ……っ」

 握られた手に力が込められる。

 要は楓の両手を自分の額に当てた。まるでお祈りしているような恰好だ。

 楓はなぜだかわからないが、だんだん気分が悪くなってきた。

 この空気感、心地よさを全身で拒絶している。

 心が拒否反応を示し、排除しようとしている。

 ダメだ、こんなの慣れてない! 吐きそうだ、耐えられない。

 楓はおもいきり要の手を振りほどいた。

「言ってる意味が分かんない!

 いいの、私は。今のままで、いいの!」

 楓は要から距離を取った。

 要はすぐに距離を詰め、楓に迫ってきた。

「お前は傷つきすぎて心がマヒしてんだ!

 今からでも自分を大切にしろ、でないとお前は一生自分を殺しながら生きていくんだぞ! ……それでいいのか?」

 要は必死に楓を引き留めようとする。

 しかし楓の心が悲鳴を上げ、警鐘を鳴らしていた。

 これ以上、心を荒らすな、踏み込むな……と。

「やめて! やめて! あなたに何がわかるの!」

 楓は要を突き飛ばし、教室から走り去っていった。

 一人教室に残された要は、ぐったりと下を向き「ああーっ」とうめくと頭をガシガシと掻きむしる。

 悔しかった、楓を傷つけてしまったんじゃないかと……そんな自分が許せなくて。

 大きなため息をついたあと、窓の外に赤々と煌めく夕日を背に、要は目を伏せた。

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